今日は死ぬのにもってこいの日だ。

生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。

すべての声が、わたしの中で合唱している。

すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。

あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。

今日は死ぬのにもってこいの日だ。”

これは、年老いたネイティブアメリカンの言葉。

一見、日本の「死ぬことと見つけたり」という葉隠れ的な死生観と似ているようだけど、むしろ仏教に近いように感じる。

 

奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき』という本がある。(すいません、まだ読んでないです…)

脳溢血で左脳の一部を損傷してしまった脳科学者が、どのようなことを感じたかという本なのだが、これは瞑想や仏教で言うところの悟りに近いようにみえる。

自我と宇宙が渾然一体となる感覚になり、過去や未来もなく「今」しかない。そして、とても幸せに満ち溢れるそうだ。

仏教の瞑想は、左脳の論理的な活動を人為的に止めて、右脳の感じる部分だけに集中する修行なのではないだろうか。

 

「死ぬのにもってこいの日」は、まさにそんな状態のように感じる。

初めと終わりの「死ぬのにもってこいの日だ」という一節がとても印象的だから目がいってしまいがちだけど、その間の素晴らしい四行のようにありたい。

「死ぬのにもってこい」の理由が大事だと思うのです。

死にたくないしね。

 

 

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