今日は、自分のダメさ加減に泣きそうになった。
人と会う約束をしていたのだが、仕事で都合がつかなくなってドタキャンをしてしまったのだ。しかも、今回で二度目だ。
今年はコミットマンになると決めたのだが、早くも守れなかった。
こういった失敗したときは、他者と自分の二つに分けて考えることにしている。
まず、相手について。
相手の貴重な時間を奪ってしまったり、期待を裏切るのはとてもつらい。
もちろん謝ったが、許すか許さないかの感情的な決定権はもう相手に委ねられる。その後、自分がどう思われるかは相手次第で、必要以上の干渉はできない。
例えば、相手に「あいつは信用できないやつだ」という感情が芽生えたなら、それを否定することはできない。今後、信用を回復できるように努力するのみだ。
一方で、自分自身に腹が立ち、悔しく思い、後悔し、へこんでしまう。
これは、なぜなのだろう。
相手への反省のアピールなのだろうか。
もちろん、それもあるが、それだけではないだろう。
以前、読んだ『七つの習慣』という本に載っていた「人格主義」というものがある。
人は、誠実、勇気、正義、勤勉、マナー、正直など人間の内面にある人格的なことを人生のベースにすべきだという考え方だ。いわゆるモラルとかに近いかもしれない。
たしかに人格主義的なことをすると気持ちがいいし、逆にそこに反すると、心が痛む。
つまり、『約束は守るもの』という当たり前に守るべきものを守れなかったのが、心のダメージとなっているのではないだろうか。