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オリンピックの ロゴデザイン

オリンピックのロゴマーク公募で最終候補が出ましたね。中ではAが好きですが、どうなるんでしょう。

 でも、やっぱり誘致のときの桜のマークがよかったかなぁ

ちょっと漫画チックで、ロゴとしての洗練度や先端性はあまり感じませんが、すごい優しさと親しみやすさがあるように見えます。こういう方向性も面白いなぁ、と思うのです。

ってか監修がGKなのね……。プロダクトからグラフィックまでデカい仕事やってるなぁ。これも一つの癒着的なものなんじゃないでしょうか(笑)。実力が伴ってるから不問なだけで。

そんな中、冬季長野オリンピックのロゴを作った篠塚正典さんのブログを見つけました。

 「プロのデザイナーがやったんだからこれでいいんだ。」
というような「押しつけ」がましいデザインは決してやっては
いけないと信じています。

 

そして芸人のキングコング西野さんのブログで「肩書きを前に出すプロは死んでる」でも、やはり近い趣旨のことが書いてありました。

お前ら、この世界に入った初日に同じコト言ってた?
結果が出せない自分を肯定する為に、微妙に下方修正を繰り返して、導き出した答えだろソレ。
そういう連中同士で集まって、傷をペロペロナメあって、いつまでもウジウジウジウジ気持ち悪い。

こちらは文句ばかり言ってるアーティストの方に物申しているのですが、プロ目線批判という点では、上記の篠塚さんと同じように感じました。

確かに、プロが決めたんだから間違ってない……という一方的な目線は、国民全員が発信者となったこの時代にはそぐわないのでしょうね。

専門家の専門的知識や経験も見方の一つに過ぎない。……時代の流れを感じます。陪審員制度なセカンドオピニオンが当たり前の世の中ですし、一方的なのは認められにくい。

そんな時代だから、誰にでも公平にチャンスのある世界になるのは自然なこととも思いますが、一方でちょっと疑問も感じます。

例えば、エンブレムを公募するというと、一見フェアな方法とも思いますが、今回のように15,000もの公募されたエンブレムを絞り込むのは、大変だったろうなとも思います。そして、それで良いものが残ったのでしょうか。

オリンピックエンブレムとはスケールが違う話で恐縮なのですが、自分の経験から最大公約数的にデザインを決めるとつまらないものが残る、というイメージがあります。デザインはマークシートと違って審査するのは難しいろ日ごろから感じていますし。

そして今回を見ていると、そんな印象を受けてしまいます。

取り消された佐野さんのエンブレムの方が尖ってておもしろかったなぁ、と今さらながら思ってます。

誰が見ても良いものということも大事ですが、自分は印象に残るとか、発展性があるとか、最大公約数じゃない部分も求めてしまいます。その点で、佐野さんのエンブレムは印象に残るものでしたし、実際の運営もアルファベットに使ったりして、楽しそうでした。

 

ただ、亀倉雄策の前東京オリンピックのロゴやポスターを見返してみると、これ以上のものは金輪際出ないんじゃないかという軽い絶望を感じてしまいますね……。

 

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